アートフルホームヒストリー
小さな頃から工作などの『物づくり』が好きでした。学校での図工や技術の時間が楽しみで自宅では段ボールで家をつくったり木工工作をしたりしていました。
中学校の卒業が近づき進路を決めなければならなくなった時、高校進学も考えましたがあまり勉強に興味もなく『早く社会人になって自分で仕事がしたい。』と思っていたので進学せず父の知り合いの建設会社に住み込みで入社し大工の修行をはじめました。
倉庫の2階の片隅に住み、月4万の給料でしたが興味のあった仕事ができる喜びは大きかったです。
仕事がなくなった。。。どうしよう
19歳になった時、建設会社での仕事がなくなってしまいました。親方も私も仕事がなければ生活できません。
さてどうしたものか。となりましたが幸い!?親方が船を持っていましたので【毎日朝3時から漁に出て魚をとる。】という生活を3カ月程続けました。
その後も仕事はなく次はパチプロになろう!と思い毎日パチンコ屋に通いました。
月10万くらいにはなりましたが『10時から22時までずっと毎日パチンコしても10万しか稼げない』ということに気づきました。
このままではダメだ。もっと大工仕事に力をいれようと強く心に誓ったのです。
父からの誘い
ある日、父から親子ローンを組んで家を建てようと誘われました。その時私は20歳でした。
今までは大工として家を建てることはあっても設計から自分がするということはありませんでした。
大工仕事を本腰いれて頑張ろうと思っていた時であり、将来独立を考えていた私にとって設計から全て自分やることができるこの誘いはチャンスだと思い引き受けたのです。
施工は基礎から自分で全てやりました。完成した時には達成感と自分の大工としての自信をもつことができました。
あの時声をかけてくれた父には感謝しています。
その後は知人宅のリフォームをさせてもらったり、他の現場へ応援に行ったりしながら職人としての腕を磨いていきました。
27歳に念願の独立
大工になって約10年が経ち紆余曲折ありましたが
27歳の時に念願の【英興工務店】を設立。
独立後はS×Lの下請け工事を主にやっていました。
私たちの仕事内容に対する元請けからの評価もよく年商1億くらいでした。
しかし下請けで待っているだけではだんだん仕事がなくなり当時1箱30個入り980円の金ちゃんラーメンを食べてしのいだこともありました。
このまま待っているだけではダメだ!と知人、友人などツテをたどり仕事がないか頼んで回る営業らしきことを始めポツポツと仕事は入るようになりましたが食べていくのが精一杯の毎日でした。
家族みんなが安心して健康で永く暮らせる家
仕事をこなしていくうちにOBのお客様からの紹介などお仕事を依頼していただくことが少しずつ増えてきました。
お客様からのお悩みや不安をお聞きしていると
見た目がめちゃくちゃおしゃれでカッコよくて、お客様の要望も叶えられたけれど窓や壁内が結露してしまったり基礎や構造が弱い家はご提案したくない!と強く思うようになりました。
しかしお客様の予算は無限ではない。。。
予算内で家族みんなが地震や災害などで家が倒壊する心配をすることなく永く健康で暮らせる家をご提案できるよう企業努力を行ってきました。
そのおかげでアートフルホームの家の性能にほれ込んでご契約くださる方が増えています。
また他社では予算オーバーだった方がアートフルホームでは予算内におさまった上、より高性能な家が建てられた!と喜んでくださる方も多いです。
私たちはこれからもお客様の希望に沿ったプランをご計画の予算の中で目一杯実現できるよう
お客様と一緒に家づくりをさせていただきます。
アートフルホーム 株式会社英興
代表取締役 古川裕文